| ―――創立時はまだアメリカ統治時代ですよね。 |
そうですね、昭和33年、1958年の10月です。沖縄ではこの年の9月にB円(軍票)から米ドルへの通貨切替えが行われました。本当にまだ終戦の混乱から立ち直れない頃のことです。然しながら当時すでに日本航空が日本の翼として東京ー沖縄間を就航(昭和29年・1954)していましたし日本本土からのお客もぼつぼつ来島し始めておりました。
会社創立以前東会長と私は日本航空の総代理店をしていた沖縄旅行社に勤めていました。本土、沖縄間のお客が増加するにつれ、沖縄戦で亡くなられた遺族の方々が、慰霊と戦地巡拝という形の旅行団が多くなりました。
世の中が落ちついてくると慰霊の旅から観光への移行していくことを見越して観光客受け入れの為の会社をつくろうという話になって現在の会社が出来たわけです。当時私達は20代で将来の希望に燃えていました。現在本社ビルの所在地にあった2階建てのビルを借りて昭和33年10月1日に設立登記をすませました。社員数6名でした。
なぜ沖縄ツーリストという名前をつけたかというと、ツーリストとは観光のことですよね。既存の旅行会社とはあまり競合しない形で、観光に重点をおいた会社をつくりたかったわけです。本土からの受け入れ業務を主体に、観光案内を行っていこうとしたんです。当時一般の人々にはツーリストなんていう名前がわからないらしく、当時ツイストというダンスが流行っていましたからよくツイストに間違われたりしました。ツイスト、わかります?ツイスト。
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| ―――ええ、こういう…(ツイストの振り) |
| そうです。そのダンスです。(会長もツイストの振り)それを逆手にとって「ダンスはツイスト、旅行はツーリスト」なんていうキャッチフレーズを作ったりしました(笑)。 |
| ―――当時のご苦労などは? |
| 当時はまだ沖縄に来るのにパスポートと米軍からの入国許可証が必要でした。本土からやってくる人々に対し沖縄在住者の保証が必要だったのです。 |
| ―――まだ観光で気軽に来れない時代ですね。 |
そうです。外国とまったくいっしょですから。ただ沖縄では20万余の人々が死んでいますから、やはり戦地巡拝をしたい、という声は強かったんです。問題はたくさんありましたが、その気持ちを汲んで、沖縄ツーリストがすべての人の身分保証人になりました。数が少ないうちはよかったんですが、そのたびに米国民政府に呼ばれるわけです。いろいろ日本は思想の自由とかいっても世情が不安定でしたから、米軍はひとりひとりチェックしたわけです。
また、当時は沖縄が一番近い外国でしたから、豊かになりはじめた日本人はショッピングで沖縄にやってくる、なんてこともありました。 |
| ―――今のハワイや香港みたいな感じですよね。 |
そうです。戦跡巡拝とショッピング観光が当時の2本柱でした。どんどん数が増えて、しまいには米国民政府は沖縄ツーリストが受け皿であればいい、ということで許可をしてもらえるようになりました。
あとは沖縄からの修学旅行ですね。あの頃は2週間から3週間くらいかけて本土旅行にいきました。船で鹿児島に行き、鉄道で大分まで行き瀬戸内海、大阪京都奈良から東京というような。そうなると、本土に拠点が必要になってきます。

まず、鹿児島から入りますから最初は鹿児島、そして東京が出口ですから、東京…というように営業所を作っていきました。アパートの一室を社員が2、3名で使ったり、旅館にデスクをひとつ置かせてもらって営業所、なんてこともありましたよ。そうやって全国に営業所を増やしていったわけです。
そういえば、米軍基地の中にある学校の修学旅行も実施しました。当時まだ日本には英語で解説をしてくれるガイドなどはいませんでしたから、前会長と一緒にガイドブックを丸暗記してアメリカ人の高校生に英語で鹿児島から東京まで案内したりしました。 |
| ―――そういえば、私がいただいた資料でものすごくおもしろいな、と思ったことがあったんですが、当時日本の旅行会社からの研修員を沖縄ツーリストが受け入れていたそうですが…。 |
ええ、そうです。当時日本はまだ海外旅行に出られませんでした。だんだんと世情が落ち着いてくると、海外旅行に出かけるわけですが、まったく海外添乗の経験がないわけですね。その点、沖縄ツーリストは会社の創設時からアメリカ人をつれて海外にでていましたから。
東南アジアなどの観光の拠点として沖縄を通過する人たちの受け入れや、軍の休暇での旅行ですね。 |
| ―――じゃあ日本国内で海外旅行に関して言うと、沖縄ツーリストが草分けなんですね。 |
もう本土の会社よりはるかに先行していましたからね。当時は本土の大手旅行社のほとんどの団体受け入れを行っていました。
会社設立時から海外旅行は実施していましたから、今の日本で戦後、一番早くから海外旅行を行っていたのはうちの会社でしょうね。 |
| ―――当時は日本人向けの部門とアメリカ人向けの部門があったわけですね。 |
そうです。私は外人部門を10年ほど担当していましたが、ちょうど今ごろ、クリスマス休暇の時期に沖縄にいたことはありません。200人くらいの外人を台湾、香港、バンコク、シンガポール、バリ島、インド、ネパール、パキスタン、アフガニスタンまで旅行案内をしていました。
当時のアメリカはまだベトナム戦争前でしたから、元気がありました。カンボジアの戦争がはじまる直前にアンコールワットに乗り込んだり、インドとパキスタンの戦争がはじまっているのにカシミールで観光したり、ずいぶん怖い目にもあいましたよ。アメリカ人はまだカンボジアと国交がないにもかかわらず観光したいと、怖いもの知らずなんですよ。なにかあったとしても沖縄ツーリストは関知しないということを参加者に一筆書かせて連れて行きしました。 |
| ―――本当に怖いもの知らずですね。 |
| その元気のよかったころのアメリカからの手ごたえもあってこれから平和産業としてツーリズム産業と言うのはもっともっと伸びていくと本当に実感していました。 |
| ―――沖縄返還後はどのようにかわっていったんですか? |
| 返還後と言うとやはり海洋博ですね。あれが大きな転機になりました。日本航空が主催した海洋博への受け入れはすべてうちの会社がやりました。イタリア、ドイツ、フランス、アメリカ、東南アジア、香港、インドネシアから約6,000人の受け入れをしました。
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| ―――西側諸国からの受け入れはほぼすべて、という形ですね。その後、いわゆる海洋博ショックがこのあとに来ますよね。 |
| あのころが一番辛い時期でした。売り上げもがくんと落ちましたし…。落ち込みがひどくて。 |
| ―――沖縄自体も辛い時期でしたよね。 |
うちもホテルを買って、営業をしたんですが、なかなかうまくいきませんでした。あのあたりはきつかったですね。そこからはもう一般のいわゆる旅行業にかえり、こつこつと足で注文を取ってきていました。当時はまだマスコミを利用して一般募集をしていませんでしたから、そうなるとネットワーク作りが非常に大切になってきますからね。
地域に根ざして世界にはばたく、というのは会社設立当時から掲げていますが、それを今でも続けています。 |
| ―――では、これからの沖縄ツーリストはどのようになっていくとお考えですか? |
はっきり見えてくる部分で言えば、インターネットでの販売と言うのは今まで力を入れていませんでした。しかし、今後はインターネットによる販売の展開が重要となるのことは確実です。早いうちに、インターネットによる情報発信をはじめていこうと思っています。
若い層に対してとは別に、中高年層に関してはメディアの利用が非常に重要になってきます。いわゆる高額商品を買うのはこの層です。アメリカなどではよく見られますが、期間が長くなってくる旅行、これからゆっくりと余生を楽しもうという人々に向けてのプランも重要になってくるでしょう。
今団塊の世代と言われている人々がこれから定年に近づいて、海外旅行にどんどんと出て行くと思います。その人々に向けての商品を増やしていかないといけませんよね。
また、若い人たちはなかなか旅行会社というものを利用しません。特に沖縄の場合、ダイビングでいらっしゃる方が多いですが、その場合も旅行会社ではなく、ショップに直接問い合わせることの方が多いんですね。そうなってくると、それらのショップが提供し得ない情報をどれだけ提供できるかが重要になってきます。それをどのように発信していくか、どれだけのサービスができるかということですね。
その人たちがなにを求めているのか、どういう旅行をしたいのか、料金の面ではどのくらいの予算なのかという研究を常時行って「本当にお客様が求めている旅行とはなんなのか」ということを追求していくべきですね。 |
| ―――少し話題はかわりますが、最近たとえばエコツーリズムであるとか、新しいツーリズムの話題がありますよね。そちらについてはどのようにお考えですか? |
エコツーリズムに関してはうちの東(社長)の方が専門家なのですが、私も運輸省や県などのエコツーリズムについてのさまざまな会合に参加しています。今現在、自然を楽しむと旅行のプランがいろいろとでてきていますが、大量に取り扱いができないという悩みがあります。
どんどんと送客してしまうと、自然を壊してしまいますよね。 |
| ―――諸刃の剣的な部分が非常にありますよね。 |
そうです。そういったものをどのように調和させていくか、大きな課題が残っていると思います。世界遺産に対するものなどもエコツーリズムでもあります。
自然と文化と親しむというものをうまくブレンドして扱えないかと思います。 |
| ―――これからのツーリズムについてはどのようにお考えでしょう? |
沖縄ウェルネス計画というものがあります。現在、沖縄の観光は2泊3日くらいが普通です。その中で日本の唯一の亜熱帯気候地帯としての環境を最大限に利用してもっと長期滞在型の癒し系プランを実施していきたいと考えています。
宮古島などでは5泊6日の長期滞在型のプランなどを推し進めています。その中でやはり値段が問題になってきますよね。そうなると、はやりキッチンまでついたようなコテージ型の場所に滞在するようなプランが重要になってきますね。
北谷に大きなコンドミニアムを作るという計画があります。これは食事もまったく提供しない。ただし自炊などができるキッチンをつけて、格安で滞在ができる。300ユニットくらいの規模でしょうか。その周辺にはレストランであるとかショッピングセンター、劇場などを作りまして、その中で生活できるようにしていく。
そういった長期滞在型の計画がこれからどんどんと進んでいくでしょうね。
また、今アメリカの軍関係の家族の方が沖縄に滞在する、などというプランにもこれは適していくと思います。
そういう施設がどんどんできることによって、沖縄の観光はどんどんと伸びていくと思います。 |
| ―――そうなると、今までの日本の短期滞在型ツーリズムとはまた路線がかわってきますよね。 |
そうです。アメリカなどのインターネットのウェブサイトを見ると、そういうアパートメント形式のようなホテルの安い情報がたくさんありますよね。沖縄県内だとなかなかそういうことは難しいですが、県外の若い人たちに対しては非常に有効ですよね。
これからそういうような形でどんどんと新しく変わっていくでしょう。
今自分で旅行する、という若者が非常に増えています。そのなかでどのように食い込んでいくか、どれだけのサービスが提供できるか、どんどんと旅行業は変化していかなければなりません。
お客様に目を向けたサービスをするために、社員の質を高め、どんな質問にも笑顔で答えられるようにしていかなければなりません。
これからお客様の満足度をいかに高めていくか、ということですよね。お客様に喜んでいただくことが一番大切です。創設の心でもある顧客第一主義、というものを大切にしていきたいと考えています。
今日のお客様に喜んでいただく、ということです。そうすれば次のお客様が必ずいらっしゃいますから。サービス、というのは本当にそういうものだと思います。 |
| (1999年12月31日沖縄ツーリスト会長室にて) |